「死にたい」という私 「生きたい」という全身

「死にたい」という私 「生きたい」という全身

2017.08.31

「生と死」の21世紀宣言の中の、「相補性」で命を考える、という玄侑さんの講演から

抜粋させていただきました。

 

人間が生まれて、小さな子供のころは、脳の中もまだニューロンにサヤが付いておりません。

言ってみれば、裸の銅線が頭の中にいっぱい入っているような状態です。もうすぐに漏電します。

漏電するということは、ものすごいスピードで一気に伝わるということです。ですから、「この

おっちゃんが良い人かどうか」というのは、彼らは瞬時に判断しています。子供には口で何を

言っても誤魔化せないというところがあります。私は子供に選挙権を持たせたらどうかと思うのです。

口で誤魔化される、大人だけが選挙権を持っていますからね。

しかしそういう子供も、だんだんと育ってサヤができてきます。ニューロンにサヤができて、電流が

一方通行になってきます。完成するのは今の学説ですと大体14歳くらいと言われています。これが完全に

サヤで覆われてしまうと電流が一方通行しますから、論理が使えるようになり、計算も正確にできるように

なると言われています。けれども、同時に、直観力を失うのではないかと考えられます。それがいわゆる

大人というものであります。論理で考えるしかなくなるのです。直観でわからなくなりますから。だから、

立派そうなことを言ってると、立派だと思うようになってしまうわけです。

子供はだまされません。犬もだまされません。猫もいちばん、だまされません。ところが人間は

そうやって物心がついて、知恵づいて、「私」というのがだんだんできあがってくると、この「私」が

判断するわけです。「私」が「死にたい」などと思うわけです。「死にたい」と思っているのは「私」

だけ、この「前頭葉に住んでいる私」だけです。右手などは「死にたい」とは思っていない。左足も

元氣。そういう状態で「死にたい」と思ったところだけが、全身を道連れにして死のうと思う。だから

もがくのです。それほど「死にたい」なら大人しく沈めば良いのに、水に入った途端に前頭葉の支配は

崩れますから、全身「生きたい」という状態になってしまうわけです。

 

わたしも、仕事も卒業できて、ある年齢になったら、ニューロンのサヤがはずれて、子供のときのような

生活ができることを楽しみに待っております。

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