生きることは、きっと逢ったことのない新たな自分を待つことに違いない。

生きることは、きっと逢ったことのない新たな自分を待つことに違いない。

2017.06.25

賢僧でなおかつ稀代の作家である玄侑さんならではのお言葉だとおもいます。

 

玄侑さんの書「日本的」のなかから抜粋させていただきました。

”生きることは待つこと”

「待」という文字には「寺」が入っている。本来「寺」という字はある状態を持続させる

ことを意味するから、「待」つとは時がきてもそのままなにかを保っていることだ。

そういえば寺ではお墓や仏像や位牌や庭木なども、すべて何かを待つために存在している

のかもしれない。参られないお墓もあるし、滅多に拝まれない仏像だってある。それでも保たれ

つづけるところに「時」は発生するのである。

来ないかもしれない相手を待ちつづける。来るかもしれないと期待し、ときには揺れながらも

信じて待ったりする。小説に限らず、およそ作品を作るという営みもおそらくそういうことだろう。

むろん待ちぼうけが続いて絶望したくなることだってあるに違いないが、それでも我々は待つしか

ない。書きながら読者の目を待ち、今はイネの穂の順調な成長を待ち、そしてお盆を間近にして先祖

たちの還りを待っている。

 

生きることは、きっと逢ったことのない新たな自分を待つことに違いない!

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