「もっと生きたい」は危険信号

「もっと生きたい」は危険信号

2015.10.24

上座仏教の長老アルボムッレ・スマナサーラ氏と我が玄侑さんとの対談から抜粋させて

いただきました。

 

長老:死に臨む人に宗教は何が出来るんでしょうか。人は勝手に死ぬんだからねぇ。

玄侑:(笑)

長老:死ぬときは一人で死ぬんだから、宗教者であろうが、科学者であろうが、医者であろうが

何もできない。そこは分かってほしいんですね。だから元気に生きている間は、自分がどのような

生き方をしているのか、ということは勉強しておかないと。もう末期だと言われてからでは、

間に合わない。これは私の考え方なんですよ。死にそうなときになって、みんな死について興味を

持ったりする。それじゃぁ準備が間に合わないんですよ。例えば大学に入りたいと思って、受験が明日だと。

では勉強するぞといっても、もう駄目なんです。二年間くらいちゃんと勉強してなきゃ受験に合格しない

でしょう。人生はもっと厳しいんだから。我々はずっと人生を勉強する、生き方を勉強する。何のために

いきるのかというのを理解する、そこで死ということに答えが出てきますよ。だから宗教に出来ることは

やっぱり、特に初期仏教にできることは、どのように生きるべきかを教えることなんですね。

やり残したことがないように生きたならば、もう死ぬしかないんです。もっとやりたかったことがある、

死ぬのは悔しい、惜しい、もう一年でも一日でも生きていられれば、といった気持ちがあるとしたら、

どこかおかしいのです。生きてきたことに満足していないのです。このような精神状態だったら、

楽には死ねません。死は苦しいことになる。

玄侑:やっぱり長老とすればお釈迦さまの立場と一緒ですよね。

長老:一緒なければいけませんねぇ。坊主だもの。

玄侑:そんなこと考えている暇があったら一所懸命生きろっていう。

長老:そうそう。

玄侑:死んだらどうなるの、なんて言ってないで。(笑)

長老:十分正しく、しっかり、文句なく、自己嫌悪にならないような生き方をしたんだよと、そして

次のステップは死ぬことしかないんだよと。ですからベストな死って何でしょうか。「では、さよなら」

といって死ねることがベストな死なんです。息子に会いたいとか、死ぬ前にウナギを食べたいとか、

それはもう駄目なんです。すごい執着を持っているんだから。もう十分食べてきたんだから食べ物

なんかいらん。息子にはさんざん苦労させられたから放っておこう、私は穏やかにいたいんだ、さよならと。

それが完全な満たされた死に方なんですね。そういう人々は決して悪いところには生まれ変わりません。

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