「没蹤跡(もつしょうせき)」という生き方
2018.12.27今年も最後のコラムになりました。
1年間、わたしのコラムをご覧になっていただき有難う御座いました。
最後はやはり、尊敬する我が玄侑さんの書「日本的」から抜粋させていただきました。
この「没蹤跡」という言葉、わたしが座右に置いている「今を生きる」に通ずる言葉だと
おもいます。
足跡を残さないとうことは、死後ばかりでなく、生きているうちから過去を引き摺らない
ことでもある。禅では、過去を引き摺ることを泥亀に喩える。泥だらけの亀は歩いた跡を
甲羅の分まで大袈裟に残す。そんなふうに、自分の過去を人に示してどうなるのかと、禅家では
発想するのである。
最近はブログなど、自己言及と記録を兼ねたような文章をよく見かける。そして「自分は
こういう人だ」と、知ったようなことを書いているのだが、果たして人間はそれほど解りやすい
存在だろうか。熱心な記録や自己言及が、かえって自己をことさらに限定し、苦しめてはいないか。
歴史家にはうつ病が多いと云われるが、それも過去に一貫した解釈を求めすぎるせいだと思える。
現代人の多くは、たぶん情報という泥に浸かりすぎたうつ症状の亀なのだろう。
”没蹤跡” 難しい言葉ですが、わたしなりに解釈しますと、「今」に没頭することだと
おもいます。
来年も、仕事においても、家内の介護においても、「今」に没頭して
がんばっていきたいと考えております。
忘年会に想う~
2018.12.3今日のNHK ニュースチェック11でやっておりましたが、女子社員にとっては忘年会は
憂鬱でしかないらしい・・です。
「女の子は、ばらけて坐って!ってすごく嫌」とか「社長の機嫌をとるのが憂鬱」とか
「今日は忘年会、会社潰れてしまえ」など、忘年会の評価は最悪のようです。
当院では毎年、夏に納涼会、冬に忘年会をおこなってきましたが、
昨年まではわたしも出席しておりましたが、必ず、職員たちのテーブルとは別の場所に
私と家内は坐り、職員と顔を合わず、会話もしないようなシチュエーションで行っていました。
今年の納涼会からはわたしは参加せす、きたる忘年会も出席しません。
わたしの愚考ですが、こういった会は、経営者が楽しむものではなく、従業員のかたをねぎらい
楽しんでいただくものではないでしょうか?
院内旅行もしかりです。当院は5年に一度、職員旅行を行っており、過去に、香港、沖縄、
北海道、城崎温泉と4回実施しましたが、わたしは一度も参加しておりません。
院長が一緒に行けば、間違いなくスタッフは気を遣いますし、楽しみが半減してしまうのが
わかっているからです。
「主役は従業員である」と考える経営者がいてもいいんじゃないでしょうか?
わたしはそういうスタイルがすきです。