こころのゆとりについて
2018.05.24今の物質文明社会で最も重要なのが、高効率・高利潤・利便性です。
その最たるものが、原発、スマホ(ケイタイ)、ネットetc.でこういった昭和にはなかった
ものの出現で人々の心の余裕、ゆとりがなくなっているのではないかと思います。
普段、一番気になるのが、黄信号の解釈の仕方です。確か教習所では「黄色は注意して止まれ」
だったとおもいます。ところが世の中の99%のひとは「黄色はアクセルを踏んで突っ走れ!」
です・・。みなさん、それほど一分一秒を争うことをされているのでしょうか?おそらく公道上で
一分一秒を争うのは救急車だけではないかとおもいます。
また、右折車がいて、うしろに何台も車がとまっていても右折車に譲ってあげない状態をよくみます。
わたしは別に一分一秒を争うことはしていませんので、黄信号では止まりますし、右折車には
パッシングをして先に行かせます。
これらは、物質文明社会の負の産物で、人々の心のゆとりがなくなってきているのではないかと
危惧します。
心のゆとりとは、他のひとを思いやる慈愛の気持ちではないでしょうか?
わたし的には、旧き良き時代・昭和につづく平成ももうすぐ終わりますが、つぎの時代は
「善は急げ」ではなく「急がば回れ」で生きていきたいとおもっております。
何となく嫌な感じがする場合、その「何となく」の部分を大事にしろ
2018.05.5久しぶりのコラムです。家内の介護や92歳になる親父の世話などにバタバタしており
なかなかコラムを書く時間を造れませんでした。連休を利用して書いています。
今日は、済洞相対しての対談、「からだに訊け、禅的生活を身につける」の中から
抜粋させていただきました。私が尊敬する臨済宗の雄・玄侑宗久さんと曹洞宗の高僧・
板橋興宗先生の文字通り済洞の雄の対談です。
玄侑:何となく嫌な感じがするとか、頭ではそんなはずはないと思っているのだけれども
、何となくそんな予感がするという場合、その「何となく」の部分を大事にしろと
言いたいですね。
板橋:何となくのままにおればいいのです。わかろうとしないでぼーっとしておればよいのです。
玄侑:そうですね。
板橋:そうすると、何となくの嫌な感情も微笑みの感情に変わってくるのです。だから
煩悩の多いほど喜びに転化します。
私の所によく悩みを持った方々がいらっしゃる。それを見て私は「あなたはマイナス二、三ぐらいだな」
といいます。だけどそういう人は良くなってもプラス二、三くらいです。ところがたまにマイナス五十
ぐらいの悩みを持った方がいらっしゃいます。こういう方はつらいことがあっただけ、転化すると必ず
よくなります。私も励ましながら「あんたのマイナス五十はプラス五十になる可能性がある」
と話します。
渋柿の渋さが強いほど、熟したときに甘い柿になるものなのです。