思想~

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思想~

2015.08.15

臨済宗、玄侑宗久さんの書からいろいろな知識・雑学がえられましたが、今日は解剖学者で作家の養老孟司先生の

書から引用させていただきました。

 

じゃあ、なにがオウム事件を引き起こしたのか。個人的には私の疑問はつねにそこに戻る。だからそれは、「われわれの

思想」の問題なのである。われわれがある思想を持っているからこそ、オウム事件が発生する。もっとも、世間の

人はそう考えないためのまず第一の予防策として、「自分には思想などという立派なものはない」「そんなものは

だれか偉い人が持つものだ」という思想で理論武装する。思想がなければなにがあるのか。そう尋ねると、「目の

前の現実がある」と答える。現実とは、その場合、お金であったり、不動産であったり、人事つまり課長とか

部長とか社長だったりする。お金は紙切れあるいはコンピューターの中の数字である。不動産とは、紙に書かれた

権利書である。課長や部長や社長に至っては、部外者にとってはまったくどうでもいい、内部組織の約束事にしか

すぎない。私個人にしてみれば、、右のようないわゆる「世間の現実」とは、むしろきわめて抽象的なものである。

そうした抽象を信じることを、私はその人の思想と呼ぶ。確固たる思想を持っているのは、その意味では私の

ほうではない。世間の人々なのである。人事やお金の方がよほど抽象的ではないか。そこでは考えというより、抽象

や現実という表現が逆転しているから、おかげで説明がいつでも厄介なのである。

私は30年、人体を解剖してきたが、あれは立派な「現実」であろう。今は毎日、虫を解剖しているが、これも

ふたたび立派な現実である。実際に目の前にそのものがある。少なくとも社長や部長、あるいはお金よりは確実な

現実だと、私は思っている。世間の人がそう思っていないこと自体が、日本の世間には立派に思想があることの

なによりの証である。なにせまったくの抽象的な存在と、それを成り立たせている法則、つまり世間的習慣と

法とを、頭から信じているからである。敗戦が私に示したことは、そういうものが抽象だということだったのである。

少なくとも今の学生は「自分には思想などという立派なものはない」と素直に信じている。しかしそれこそが

現代日本の代表的思想であることに気づいていない。思想とは、考えるだけではなく、同時に信じるものである。

信仰の中身はふつうは前提に入ってしまうから、それについて考えることはない。そういう学生に私は「昼飯に

何を食うか」と尋ねる。「カレーを食べます」と答えた学生には、「なぜか」と訊く。「好きだから」と学生が

答えるなら、「あんたは「昼飯には自分の好きなものを食う」という思想を持っているんだよ」と教える。

そう教えれば、「カレーが好き」「カレーがうまい」という、実感だと一見思えるものが、実は思想と関連することが

わかるであろう。

その意味で思想を持たない人はいない。若い時から私はそう思っていたから、丸山真男先生の「日本の思想」に

「日本に思想はない」と書いてあるのを読んで、その時は仰天したのである。そのうち丸山先生のいう「思想」

の意味が少しわかったような気がしてきた。そもそも思想が西洋由来のものなら、「日本に思想はない」で

当然かもしれないのである。さらにいうなら、まさに「日本に思想はない」というのが「日本の思想」なのだから

丸山先生のこの書物は、表題と中身がまことにつじつま合っているというしかない。その意味でも丸山先生は

正しかったのである。

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