サムシング・グレート

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サムシング・グレート

2014.07.15

子どもの頃、1cm四方の角砂糖を半分ずつにどんどん割っていけば最後はどうなるのだろうか?とか

中学の頃、理科で、宇宙はビッグ・バーンで誕生した、とか習った憶えがあります。

角砂糖は実際には目に見えなくなり消失しますが、理論上は0にはならないのではないか?また

ビッグ・バーンが宇宙の起源とされているが、それならビッグ・バーンが起こる前の状態はどうだったのか?

私は子供なりに悩み、寝床であれこれ考えながらいつも間にか寝てしまっていました。

これを仏教に例えると、「人の心、魂はどこから来たのか?」「人の死後、魂はどこに行くのか?」

これに匹敵する疑問と思われます。

ここで登場するのが、”サムシング・グレート”です。

”サムシング・グレート”に造詣の深い村上先生と玄侑さんの意見を聞いてみましょう。

 

村上:本気で研究している人は、命の本質はそう簡単にわからないという事実を理解しています。私は、

科学者がそうした存在について発言する必要があるんじゃないかと思うようになったのです。

これまでサムシング・グレートについては宗教家や道徳家をはじめとしていろんな人が語ってきた。しかし

科学者は沈黙してきたのです。私は及ばずながら、そのメッセンジャーになりたいと考えているのです。

玄侑:あらためて村上先生がイメージするサムシング・グレートとはどのようなものなのでしょうか。

村上:全人類、全生き物をつくった親のようなものというふうに考えているんです。地球上の生物が等しく

同じ遺伝子暗号を持っているということは、私たちの生命がたったひとつの生命体から始まった可能性が

高い。私たちには親がいますが、その親、そのまた親とたどっていけば、その先には「生命の親」とも

言うべき存在に到達すると思うのです。

私たちはやはり何かから生み出されたのです。その生み出した根源的なものをサムシング・グレートと

名付けました。おそらくサムシング・グレートは、理性では永遠に分からないところが残ると思います。

玄侑:しかし、感じる必要はある。

村上:少なくともそういう存在があるという考え方、それから生命の進化はでたらめでも偶然でもない

ということを知ってほしい。これをでたらめだと考えるのは、非科学的です。目に見える形では確認

できませんが、やっぱり何かある。その何かを追いかけていくのが科学者の務めではないでしょうか。

「命はほんとうにすばらしい」と思える感性は、人間が生きていくうえで非常に大切ですし、私たちの

人生を豊かにしてくれると思います。私自身は科学者として決して優れていないと自己評価しています。ただ、

私のユニークなところは、サムシング・グレートを感じているところだし、そこが私の活躍する場所、生きる

場所じゃないかと思うのです。

 

科学と宗教はワンセットになっている

2014.07.3

遺伝子研究の権威、村上和雄先生と臨済宗の雄、玄侑さんとの対話形式の書より抜粋しました。

 

玄侑:よく信仰と科学は相容れないように語られますけど、おそらく、あるところでセットに

なっているのだと思います。科学的な実験でも必ず仮説を持つでしょう。仮説に対する思い

というのは、おそらく信仰に近い。実は科学者は仮説を裏付ける証拠を探しているのだと思うのです。

そして、探しているものは見つかるんですよ。

村上:私もそう思います。たとえば、科学者は宇宙や人体に法則性があると思って、それを

探しています。実験がスタートする時点では科学的根拠はないのですが、それでも信じているから

探すのです。最初から「ない」と思ったら探せませんからね。

もちろん科学者にもいろんな人がいます。すぐに社会に役立つような研究をやっている人もいる。

しかし、そもそも科学者というもは、実利にはほとんど目もくれずに、「宇宙の果てはどうなって

いるんだろう」とか「命とは何なのか」といったことを科学の言葉を使って証明しようとする

人たちです。ある意味では、だから遊び的な要素もあるし、信仰的な要素もある。

ただ、それがいま遊びじゃなくなっているから、問題が起こるのです。特許をいくつ出しました、

これだけの論文を書きました、という話になってしまう。本来は余裕のある人がパトロンに

なって、「好きなようにやれ」というのが理想だと思います。

玄侑:村上先生はそうした遊び心や信仰心を持って、心や魂という科学が扱いにくいテーマに

挑戦されているところがすごいですね。

村上:いまのところ科学は魂の問題にアプローチできません。この前、心理学者で文化庁長官の

河合隼雄さんとお話ししたとき、「魂と遺伝子の関係を研究しよう」と言われました。テーマ

としてはおもしろいが、科学の土俵で魂を論じるのは、心よりもさらに難しい。

以下省略。

 

私も、信仰と科学は相反するイメージを持っていましたが、この世の中、科学では証明できない

ものがたくさんあります。数千年前のお釈迦様の時代から、「人はなぜ生きるの」、「死後の

世界はあるのか」という問いには現代でも答えは出ていませんし、今後科学がいかに進歩

しても、この答えは出ないと思われます。そういった科学では証明できないところを補うのが

信仰心ではないでしょうか。科学一辺倒では生きられない、その部分で科学と信仰心のリンク

が必要ではないでしょうか。

医学も科学の一つですが、いくら医学が進歩しても、「人生は苦の連続である」、「人は必ず

死ぬ」ことから逃れることはできない。

私も含め人は誰でもある程度は医学のお世話になりながらも、最終的に人の幸せを決めるのは

科学ではなく心、すなわち信仰心ではないでしょうか。「人生は苦の連続である」ことは

まぎれもない事実ですが、その中で一握りの幸せがあれば、その人の人生は価値ある、有意義

な人生ではないでしょうか。

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