自分にとって大切なものとは何か

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自分にとって大切なものとは何か

2013.12.31

今年最後のコラムも、南僧のお話をお借りしました。

 

「自分のやりたいことがわからない」、あるいは「自分らしく生きたい」などど言う人が

います。しかし、そもそもそう言っている本人にも「自分」がわからないのだから”らしく”

もへったくれもないでしょう。

自分がやりたいこととは何か?自分らしい生き方とは何か?それを考える過程がまったく

無意味だとは言いません。しかし答えは出ないのです。そうした問いに堂々巡りしていては

一歩も先に進めないまま、ジレンマに陥るばかりではないでしょうか。

ここは一つ、発想を変えてはどうかと思うのです。まず「本当の自分」などどうでもいいと

思うこと。「自分はわからなくて当たり前だ」と決めてしまったほうが、ずっと楽に生きれる

はずです。それより、いったい自分は何を大切にして生きたいのか、誰がいちばん大切な人

なのかを考えるのです。

つまり、「問い」の仕方を変えるのです。自分とは何か?などと考えるのではなく、自分に

とって大切なものとは何か?自分にとって大切な人とは誰か?自分がいちばん大切に思う

ことを大切にし、そして大切な人を裏切らないようにしていけば、自然に道は開けるはずです。

医療崩壊?

2013.12.18

来年4月から消費税が上がる。時を同じくして診療報酬の改定もある。

2年に一度、診療報酬の改定があるわけだが、その時期になると医師会のお偉いさんは

お約束事のように「診療報酬を上げなければ、医療崩壊が起こり患者さんに十分な医療を

提供できない。」などと言っている。

バカなことを言っちゃいけない。今まで崩壊したためしがない。

なぜなら、診療点数が下がっても、不必要な検査や投薬をすれば、結果的に報酬は増える

からだ。

私はこのHPでも述べているように、不必要な手術や不必要な投薬は極力減らしている。

日本全国の医者がこのような意識をもって医療に携われば、診療報酬の改定などに左右されずに

国家予算に占める医療費の割合は当然さがる。自明の理である。

 

個人的には、病院の診療報酬を上げて、開業医の診療報酬を下げるべきだ。

一般のかたもご存じだと思いますが、開業医の子供が医学部へいき、医院を継ぐケースが多いです。

これもお約束事のような一種の世襲性があるようだ。

医院を継がせるためには医学部に進学しないといけない。そのために何千万~億の学費を

投入する。その金を捻出するためには稼がないといけない。診療報酬が下がるとまずい。

そこで医師会などがこぞって反対する。つまるところは保身、誰も「十分な医療を提供できない。」

などと本気で考えていないと思うよ。

私は、診療報酬が上がる、下がるを云々するよりも、もっと大事なことがあると思うよ。

要は、心だ。一人ひとりの患者さんを大切にし、満足して帰っていただけるような医療を

提供できるよう努力することに励めば、診療報酬の上げ下げなんかどうでもよくなるはずだ。

努力もせずに、稼ぐことばかり考え、その結果不必要な手術・投薬をすることが一番

医療費をふやしており、だから国は診療点数を下げると言っていることに、あんたら

まだ気がつかないのか?

大切なのは、心だよ!

私とは何か?

2013.12.9

「自分とはいったい何なんだろう?」と考えた人は多いとおもいますが、おそらく

結論が出ず、答えが出ず、うやむやに考えるのをやめてしまったのではないでしょうか。

南僧のお考えを紹介します。

 

一般に「〇〇とは何か」という問いに回答するとすれば、同語反復にならない限り

「〇〇」とは違うものを持ってきて「〇〇とは××である」と言うほかはない。

が、違う二つのものをイコールで結びつけても最終的には落ち着かないのが道理である。

であるうえに、「私とは何か」という問いは、すでにそれ自体、この問いで考えられている私と、

この問いを考えている私に、たちまちのうちに分裂するから、ただでさえ始末の悪い「私」が

増えてしまう。しかも「私とは何か、と考える私を考える私・・・」と際限なくどんどん増える

ばかりである。

とすれば、この問いを解決するには、答えを考えることより、考えることをやめる算段を

するほうがよい、ということになる。

ここまではすぐ思い当たるにしても、問題はどうやって考えることをやめるか、である。

ひとつのテは神様にお任せすることだろう。全能唯一の絶対者というのは、要するに

原因なくして存在するもの、そのほか一切を生ぜしめるもの、ということであるから

これを持ち出すのはよしなさいね、と言うに等しい。ゆえに「信じる者は救われる」

わけである。

自然への畏敬

2013.12.3

今日も南僧のお話より抜粋しました。

 

阪神大震災が起こったとき、誰かがテレビで「あってはならないことが・・・」などと口走っていたが

人間の頭であるかないかを決められるようなことは、自然にはない。こんな浅はかなことを言い出す

人間こそが、自然「破壊」や「保護」とかを、都会のど真ん中で安直に喧伝するのであろう。

だいたい自然は「破壊」したり「保護」したりできるものではない。なぜなら、それは自然にとって

どうでもいいことだからである。人間に都合ののよい「環境」は破壊されもしようし保護もされようが、

自然自体にとっては、それらは単に、自らの物質構成に若干の変化が生じただけのことにすぎない。

「破壊」されるわけでもなく、「保護」されるいわれもないのである。

テレビで無邪気なことを言っていた御仁には、自然が持つよそよそしさ、その超越に想像力が

及ばないのだろう。及ばなくなっているのだろう。

なにもエコロジーの運動が無駄だとか、間違っているとか言いたいのではない。そうではなくて

自然が人間の手に余る存在だという、徹底的な自覚がないかぎり、私たちはまっとうな関係を

自然との間につくることはできないし、保護らしい保護もできないだろうと言っているのである。

 

私も、今の人間には「自然を制御」できるという驕りがあると思う。それは動物たちに対しても

同じである。我々はもっと自然や動物たちに対して畏敬の念をもたなくてはならないのでは

ないだろうか。

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