願いなきことーこれが幸せ

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願いなきことーこれが幸せ

2013.10.28

またまた玄侑先生のお言葉をお借りしました。

 

禅では「無事」といいますが、その意味は自分の外に何も求めることがなくなった状態です。

何かを目指していないのです。

私たちは、目標を次々に設定して、それが叶ったときこそが幸せだと思っています。けれども

、願いなきことーこれが、最高の幸せではないかと思います。何か目標をもっていると、人は

熱くなるんです。「ねばならない」ということが多いと蒸し暑いし風通しがよくない。

見る目が何色かに染まっていると、ものがちゃんと見えてこない。目標に向かって

燃えていると、極端に自分の都合によってものを見ているので、いい出会いのご縁が

いただけないんです。

願いをもたず、いつもニュートラルな状態であれば、どんな出会いともちゃん向き合うことができ

、そこから何かが生まれていきます。ある意味で「願い」というのは、頭で考える人為的な

思惑なんですよ。「願い」を持つと、「こうであってほしい」という前提条件を抱えることになるわけです。

 

邪気

2013.10.25

尊敬する玄侑先生の書より。

 

我々の中にある「邪気」と呼ばれるものは何かというと、たとえば癌細胞などがそうですね。

西洋医学では、邪気に対しては邪気で対抗しようとするので、切除したり放射線や薬で

やっつけようとします。

しかし、よく考えてみれば、癌細胞といってももともとは自分自身の一部なわけです。

要は言うことをきかなくなった細胞ですね。はたしてそれを抹殺していいものでしょうか。

 

邪気に対して無邪気で向き合うというのは、「邪気」を悪いものだと固定的にみないからです。

いまここでは、邪気として現れているだけのことと解するわけです。仏教は、

固定的な見方をせず、すべてのものを関係性のなかでみます。邪気なものでも

、それを固定的な存在としてみません。たまたま今の自分に対して悪として現れてきた

流動的な「出来事」としてとらえるのです。

雪さえ寒いと思わず、涼しいと感じる余裕

2013.10.23

玄侑さんの「四季の公案」より。

 

冬に雪が降ると寒い寒いと言うわけですが、その言葉が寒さを固定

してしまうんですね。それで感覚としてはさらに寒くなってしまいます。

そのことを道元禅師はよくわかっていて、次のような和歌を詠んでいます。

 

春は花夏ほととぎす秋は月

冬雪さえてすずしかりけり

 

雪の季節を「寒い」ではなく「すずしい」と表現していますね。

これはつまり、道元禅師は雪を愛でているわけです。雪だけではなく

、春夏秋冬、どの季節もいいじゃないかとすべてを愛でています。

季節の移ろいに応じて自然のままに生きたい。そういった覚悟が

あればこその言葉だと思いますね。

自分の始末

2013.10.13

引き続き、曽野綾子さんの書「自分の始末」より。

 

「自分の始末」の意図するところは、実はたった一つ、

できるだけあらゆる面で他人に迷惑をかけずに静かに

この世を終わることである。

私たちは一瞬一瞬を生きる他はないのだから、

その一瞬一瞬をどう処理するか、

私はずっと考えてきた。

老年の仕事

2013.10.12

尊敬する作家、曽野綾子さんの書より。

 

一口で言えば、老年の仕事はこの孤独に耐えることだ。

逃げる方法はないのである。徹底してこれに耐え、

孤独だけがもたらす時間の中で、雄大な人生の意味を

総括的に見つけて現世を去るべきなのである。

これは辛くはあっても明快な目的を持ち、それなりに

勇気の要る仕事でもある。

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