人類滅亡?

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人類滅亡?

2013.08.29

今日も南さんとA氏の対談から抜粋しました。

 

M僧:小林和之という法学者の「未来は値するかー滅亡へのストラテジー」

という論文を読んだことがある。そこには一種の「解決としての滅亡」という

考え方があった。小林氏は人類全体を安楽死させる施策を提言している。

これは凄い話。だが、発想としてでてくるのはわかる。

環境保護というのなら環境を破壊する人間がいなくなればいい。安楽死を

認めるなら人類ごと安楽死させる方法もあっていい。

その論文の提言では、子どもをひとり生むごとに途方もない税金をかける。

八十歳いじょう生きると、また税金をかける。そうして集めた莫大な税金を

、みんなを平等に安楽死させるほうに使えばいい、という。ね、凄いだろう。

A氏:人類はきれいに消滅するかもね。

M僧:感覚的にいえば、こんな施策は倒錯しているだろう。しかし論理の

問題として、「なぜいけないんだ」と問われると。自殺の問題と同じで

いけないという理由が見つからない。私がいつもじさつの問題で悩むのは

苦しいなら存在しなくなればいいのではないか、ということだ。

なぜいけないのか。

仏教はどう考えても、人間であることや人類が存続することを、無条件で

いいという考えではない。「成仏」とはある意味「人間でなくなる」こと。

要は「人間」はダメなのだ。けっして人間であることを全面的に肯定する

思想ではない。少数派になるのも当然だろう。

A氏:いや、しかし、この思想は強いだろうね。なぜといって、「では、

答えてみろ。なぜ人は生きつづけなきゃいけないのか。なぜ人類は存続

させなくてはいけないのか」と詰め寄られたら、たぶん誰もまともに

答えられない。

どの業界も同じ

2013.08.27

私が、日本のお坊さんで玄侑さんと並んで最も頭のいいお坊さんと思う

南直哉さんと評論家Aさんの対話から抜粋しました。

 

M僧:現実には教団内の地位でさえ、修行の深さやら仏法の探求やらで

決まるわけではない。教団の要職を務めたとか長年保護司を務めたなどと

いった、いわば世俗的な経歴で決まることが多い。どの教団もほとんど同じ

だと思う。そういう選択基準もあながち否定する気はないが、決定的な

問題は、どの宗派もどういう僧侶を理想とするかについて、徹底的に

考えていないだろうということ。これは教団の将来にとって、致命的だね。

Aさん:しかし、なぜ?

M僧:私が思うに、結局、社会の人が坊さんに何も求めないからだろう。

一昔前の調査では、とにかくお葬式と法事をきちんとやってくれればいい

という意見が最も多かった。僧侶がそんな世間に甘えた責任も大きい。

しかし一般の人々が仏教や信仰についてまじめに考える時代がなかったのも

大きいのではないか。

有余涅槃

2013.08.22

仏陀の最後の言葉(大般涅槃経より)

 

スバッダよ。私は二十九歳で、何かしらの善を求めて出家した。

スバッダよ。私は出家してから五十年余となった。

正理と法の領域のみを歩んで来た。

これ以外には、(道の人)なるものも存在しない。

 

「ここまではやった」「できる努力はしつくした」「もう思い残すことはない」

と言い得たとき、もしかしたら有余涅槃めいたものが味わえるかもしれない。

仏教者の目標はそこにあると思われる。

己の魂を磨く

2013.08.16

仏陀は「人間は絶対的な存在ではない。」と仰っている。

 

絶対的な存在ではない人間を目標に生きることは無意味である。

それよりも人生においては、自分の魂を磨いていくことが大切であり

それしか生きる道はないと思う。

一日一止、七走一坐

2013.08.11

四文字熟語が続きましたが、お盆もきますので今日でしばらく

四文字熟語はお休みします。

 

「一日一坐」とは、中国の言葉らしいです。

一日に一度立ち止まれば、正しい生き方ができる、という意味です。

「一」と「止」をあわせると「正」という文字になります。

 

「七走一坐」は禅の言葉だそうです。文字通り、七回走ったら一度は

坐れという意味で、走り続けることは絶対にできない、しばらく全力で

走ったら一度休息を取り、おのれの走りを見直すことが大切だ、との教えです。

日々是好日

2013.08.10

日々是好日(にちにちこれこうにち)

 

お坊さんM氏のお言葉を借りました。

この「好日」は単に「いいことが起きる一日」「楽しい一日」という意味では

ありません。その日どんな出来事があっても、その日にしか体験できない。何の変哲も

ない日も、飛び上るほど嬉しいことがあった日も、失望に肩を落とした日も、すべては

二度と来ない大切な一日だということです。

たとえ精神的にダメージを受ける出来事があったとしても、それを新しい自分になるための糧に

できれば、ひとつの「貴重な経験」になります。将来成功するための試練が与えられたと思えば、

意に染まぬ出来事も、その意味はまったく変わるものです。

 

そう考えるとどんなことも「ありがたい」ことですね。

脚下照顧

2013.08.2

脚下照顧(きゃっかしょうこ)

 

禅語で、「自分の足元をきちんと顧みよ」という意味です。

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