慈悲とは

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慈悲とは

2014.09.13

玄侑さんの書「慈悲をめぐる心象スケッチ」のなかに非常に共感できる文言が

ありましたので抜粋してみました。

 

慈悲というのは行動の規範ではないと、以前に述べた。

それなら何なのか、というと、お釈迦様は瞑想時の心の赴かせ方とし提出したと、申し上げた

はずである。むろん今でもその考えに変わりはない。そのような瞑想を、すべきなのだと思う。

しかし一方でそれは、ヒトという生命体が本来持っている能力なのではないか、とも私は思う。

その発現を促す方法として、瞑想が勧められたのではないだろうか。

思えばヒトは、言葉を覚える以前、瞑想のような時をずいぶん持っていたような気もする。

そこでは突出してはいないが好意のような感情が世界ぜんたいを覆い、「いのち」はそのままで

安らいでいられた。何も足りないものはなく、何も余分はなかった。もしかするとそのような

幼い時、私自身も慈悲を発散し、他者にも慈悲を促していたのかもしれない。むろん幻想かも

しれないが、私は最近、慈悲とはそのようにからだから自然に放散する協調性のような

気配ではないかと考えているのである。

利他の精神が失われている・・

2014.09.2

本日、愕然をするようなことに遭遇しました。

数年前にどこかの医療機関で白内障手術を受けられた患者様が、今日来院されました。

手術を受けたところ以外にも複数の医療機関を受診され、その後、緑内障なら当院がいいと

勧められ受診されたそうです。

中心視野が消失し、耳側にわずかに視野が残存するⅤーbという晩期緑内障でした。

この状況から判断すると、私でなくてもきちんと勉強している眼科医なら、数年前に受けるべき手術は

白内障手術ではなく緑内障手術であったことは、自明の理であります。

 

患者様のお話では、「白内障手術をしてもらったが見えない」と言いましたら、「あなたは緑内障があるから

みえないのです。」と、手術が終わってから初めて緑内障のことを医師から告げられたそうです。

聞いてみますと、手術前に何回か視野検査は受けられたとのことです。白内障を手術する前になぜ

緑内障のことを言ってくださらなかったのかと悔やんでおられます。

緑内障を見落としていたのか、あるいは晩期緑内障が分かっていて白内障手術を強行したのかは

分かりませんが、普通に勉強している眼科医なら、このケースは白内障手術をしても患者様に

満足を与えることができないことはわかるはずです。利自に走ったのでしょうね。

訴訟になっても、道義的責任だけではすまされないミスと判断されても文句言えないケースです。

 

こんなケースが散見されるのは、眼科教育のシステムにも問題があるのでしょうね。

眼科医になれば1、2年で白内障手術が習得できます。白内障手術ができれば一人前と履き違えて

おられるかたが多くみられる。眼底の病気に十分な知識、経験がなく、濁っているだけで白内障手術を

闇雲にやってしまうのだから、こんな悲劇が多発するのでしょうね。

 

情けないですね。医は仁、利他の精神が一番大切であることを肝に銘じていただきたいですね。

 

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