不便を取り戻す―生活の手間隙

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不便を取り戻す―生活の手間隙

2020.12.30

今年最後のコラムになりました。

今年は、家内や私が病気になり、大変な1年でしたが、

なんとか後半になり、家内も落ち着き、私も少し元気になりました。

今年最後は、やはり尊敬する玄侑さんのお言葉をお借りしてみたいと思います。

 

まさしく済洞あいまみれるの対談、曹洞宗の禅師板橋興宗さんと臨済宗の玄侑さんの

対談集「からだに訊け」の中から抜粋させていただきました。

 

玄侑:人間社会が文明化することに対する危惧というのは老子がすでに抱いておりますね。

老子が言うには「利器を使いすぎてはいけない」と。文明の利器です。「利器」などという

言葉が、本当に紀元前のはるか昔の時代にすでに存在しております。そのころの

利器といっても、今から考えれば、便利さからは程遠いものでしょう。しかしいかに

利器が人間をくらませるか。五味、五色、五声、要するに感覚を麻痺させるものだと

古くから危惧されていたわけです。

老子は無為自然であれ、自然に帰れと説いていた。その後もそうした考え方が中国には

継続して起こっております。たとえば陶淵明は「帰去来の辞」というのを書いて

「田園まさにあれなんとす なんぞ帰らざる」と詠っております。田園というのは

われわれのからだでもあります。つまりはからだを使って自然に帰れということです。

しかし、ここまで自然をどうにかしてしまった現代をどうすればよいのでしょうか。もともと

自然に帰れと言ったって、その自然というのはある種、頭に描いているところが

あると思うのです。それはやむを得ない。ただ、頭で思い描く自然をとりあえずは

目指してみるしかなと思います。そのためには単純ですが、生活の手間隙を取り戻すことが

必要だと思います。ある程度の便利さを放棄する覚悟が必要になる。利器を選べ、使いすぎるな

と老子がいうように、我々も文明の利器の全部を使っていたらだめになるでしょう。

 

玄侑さんは他の書でも、よく「便利は不便」と仰っています。

利便性、高効率を追求する最たるものは、スマホ、原発でしょう。

スマホがどれだけ犯罪の温床になっているか、また原発は一見便利にみえても

一旦氾濫すると手に負えなくなる。

こういう一見便利なものは、周り回って、結局は不便なものになる。

昨今の市場経済原理のもとでは、なかなか難しいが、人間は一度、不便に回帰しないと

いけないのではないかと、私はおもいます。

日本でも中国でも高度経済成長時に排出しすぎた二酸化炭素で地球温暖化が起こり

昨今の異常気象の原因となり、多大な災害を起こしている。ゴルフ場など、

人間の快楽のために自然破壊を起こしたことも自然災害を大きくしている原因と

思っている。

要するに人間が好き勝手しすぎたことに対する、自然界からの逆襲なのではないでしょうか?

わたしは新型コロナウイルスも自然界からの逆襲だと思えて仕方ありません。

あえて不便と取り戻さなくてはいけないとおもいます、昭和の生活様式に戻らないと

このままでは、人類は破滅の方向に向かってしまう、を私は危惧します。

 

皆様、良いお年をお迎えください。

来年はよい年でありますことを祈念いたします。

今年も一年、コラムをご覧くださって有難う御座いました。

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