「無」の場所に咲く花

「無」の場所に咲く花

2021.02.14

3.11が近づき、写真:青柳健二さん、文:玄侑さんの「花咲うー被災地の櫻と復興」

を再度読んでみました。

 

その中で印象に残った部分を抜粋させていただきました。

 

東北には、江戸彼岸櫻がたくさんあります。私の寺にある枝垂櫻もそうです。この花は

ソメイヨシノよりも花房が小さくて、咲き方が密です。それだけに、たんに華やかなだけでなく

妖艶さのようなものを感じさせます。夜櫻などは凄みをかんじるほどです。

震災で大きく地面が揺れたため、東北の櫻の多くは根切れを起こしているに違いありません。太い根が

切れてしまうのは、木にとって大きなダメージになります。けれど、その年もその翌年も櫻は

きれいな花を咲かせました。たくましさに感じ入ります。

震災以後、実生の櫻を育てるという活動が起こっています。実生というのは、種から発芽して

生育した植物のことです。苗を移植すると、主根が一度切られてしまいます。主根を切って側根を

増やすのは移植の際の一つの方法なのですが、いちばん長生きするのは、主根を切らず、種を植えた

場所で育った木なのです。

そうした木が「この土地で生きるんだ」と、我々を励ましてくれているように思います。

放射能被害で福島を離れた人々は今現在、五万人余りいます。いったん出て戻ってきた人たちも

いますが、いずれにしろ、「ここで生きるんだ」と決心した人間に、植物はいろいろなことを

教えてくれます。

動物と植物の違いは、都合のいいところを動き回って生きるか、ある場所に固定して生きるか、です。

植物は一つの場所を動くことなく、自分自身を変化させて生きています。夏の櫻の鬱蒼とした様子は

葉を落とした冬のときとはまったく違います。一年のあいだに、大きく変化する日本の木は、一つの

場所で四季という大きな変化に合わせて生きているからです。そういう意味では、「自分を変化させて

この土地で生きる覚悟」のようなものを植物は私たちに教えてくれます。

短期間に一斉に咲くということは「祭り」につながります。もともと「花見」は花が咲いてる山に行って行う

ものでした。平安時代に貴族が邸宅の庭に木を植えるようになって、櫻は身近なものとなりました。大正年間には

ソメイヨシノが大量に植えられ、庶民にとってもポピュラーな花になりました。

そうして花見はどんどん大衆化し、手ごろな祭りとなったのです。もしも櫻が一か月も咲きつづけたら、そういう

祭りも起こらなかったかもしれません。短さ、儚さ、潔さがエネルギーを生じさせるのでしょう。

復興に際しても、ばらばらになった人々が集まる最大のきっかけになるのが、祭りです。

「祭りをやるから集まろう」と言って、再会したり、再会を期したりしているのです。祭りがコミュニティを

保ち、復興の礎を作っているのだと思います。

震災では警察と自衛隊が非常に頑張ってくれました。彼らがいなければ、がれきを片付けることも

できなかったでしょうし、遺体の捜索もできなかったでしょう。

しかし、考えてみると、アルバムを拾ってくれる軍隊というのは世界中探しても、日本にしかありません。

軍隊でないという不自由さ、無力さの中で、自らの在り方を探求した結果、彼らは災害復旧にこれだけ貢献

できる集団になったのだと思います。

終戦後の新しい憲法のなかで、天皇陛下は国民の「象徴」となり、明治・大正天皇と比べると極度に

無力化されてしまいました。そうしたなかで両陛下もまた自らの在り方を模索されてこられたのだと思います。

日本は「無」のまわりに集まっている国です。そして、「櫻」には、その場所を無化し、周囲を賑やかにする

力があるような気がします。

 

わたしは、東北が好きです、特に福島が好きです。

一年一年復興が進み、「花咲(わら)う」東北であってほしいと

微力ながら願っています。

 

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